目薬よくなくす

たまに心臓めっちゃ痛い

 

日記というのは、毎日なにかが起こる人なら書くことがあって面白いと思う。

でも、毎日なにかが起こる人などほとんどいない。定期的な変化の他には、与えられた自分の日常を繰り返しているだけだ。だけど、日記という言葉は存在して、日記という物は当たり前のように売られたり、日記をつける行為は一般に知られている。

どうしてだろう、何を、書いてるんだろう

 

自分が書いた日記は、日常にほとんどなにもないことで、精神的な世界での出来事ばかりを記録している。一日のうち肉体は移動しないが、精神はあっちこっちに行って思ったことや気付いたことを拾ってくる。それを、書いている。

 

今日は、外の世界に興味があったから、VideoWalkというジャンルの動画を見ていた。そのまま、街を歩きながら動画を撮っただけのもの。編集も、字幕もない。東京の知らない街を知らない人が歩いている。それを日常で実感することはあまりない。今この時、自分以外の生きているものの存在を実感することはできない。でもこの動画は、その一部を体感させる。いやいや、出勤で街を通る人とかなら当たり前のことかもしれない。でも、すれ違う人が生きていると思うことはあまりないかもしれない。今日すれ違った全ての人は、それぞれの家に帰る。そのことは、実感できない。本当かな?と思う。

 

動画のコメント欄に英語で、

ここは世界的な都市圏。3800万の人間。路上には鍵の掛けられていない自転車。地面にはほとんどゴミは落ちていない。公然の犯罪はなく、動画を撮影するカメラを凝視する人もいない。空気は綺麗で、皆がうやうやしい。そして誰も人を騙したりしない。どうかずっとこのままの東京であってほしい。

 みたいなことが書いてあったのがよかった。

 

肉体は移動しないが、毎日インターネットの海を泳いでいる。泳ぎなれた浅瀬で遊んでいることがほとんどだけど、知らない珊瑚礁を探しに行くこともある。友達の話を聞いたあとに関連する記事のリンクを送ったら、おまえはこういうのをどこで見つけてくるんだと言われる。どこで見つけてくるんだろう・・・毎日海にいるからかもしれない。ちなみに、本当の海では泳げない。

 

[music] Nuvole Bianche / Ludovico Einaudi

ピアノの曲。映画 最強のふたり(Intouchables)のエンディングらしい。

避けることのできない不安、一閃の気付き、その後に忘れられない瞬間がやってきて、日常に戻る。精神的なゆらめきが表現されていて、人生を感じる。