目薬よくなくす

たまに心臓めっちゃ痛い

自由が呼び声

 

もうすぐ新しい生活になって一年が経つ。

一年前、引越しの前夜にキャナルシティにシン・エヴァンゲリヲンを見に行った。卒業式の日程を勘違いしていて、引っ越した後にまた大学に行った。卒業証書授与式の日程も勘違いしていて、出られなかった。後日、卒業証書はレターパックで届いた。勘違いしすぎて自分で書いてても頭がおかしくなりそうだ

新しい生活になると、経済的に自立した。それまでは自立していなかった(お父さん、お母さん、ありがとう)ということだけど、その両親に苦労をかけているという事実はずっと自分の心を蝕んでいた。それから解放された。

それで、自由を感じた。言葉にすると大袈裟だけど、ただ何をしてもいいという状態がそこにあるだけだった。それは嬉しかった。

 

何をしてもいいという自由を与えられた生活で、俺は何もしないという自由をたびたび選択した。休日に日が落ちるまで布団の上にいた。今日も何もしてやらなかったと言って、喜んだ。

家にいる時、ときどき、その多くは深夜に、どこか行こうかなぁと思う。次の日は仕事だし、今寝た方が絶対に良いと判断できるけど、唐突にどこかに行くという選択肢には惹かれてしまう。なぜなら、それが今持っている最大の自由だから。働いていて、一人で暮らしている。その状態でできる最もおかしな行動がしたい。そして唐突に自転車で埠頭まで行って、雑に海の写真を撮って帰ってくる。ある時は住宅街の中にある神社に行って、少し立ち止まって帰ってくる。次の日は少し後悔したかもしれないが、そういうことを繰り返している

 

でもこれは自由だからできることではなく、ただの血迷った行動にも見える。無気力な方向に向いた反抗的な行動。自分がなるべくどうしようもなくなるように仕向ける自虐的な行動。無責任な状態を喜んでいる。そういう風に言い換えることもできる気がしている

 

今はそれでいいと思っている。このまま履き違えた自由を享受していよう

 

 

[music] 思慮するゾンビ / FICUSEL(初音ミク)

質感のある楽器の音を使っているのに電子音のような無機質を感じさせるエレクトロニカ。この曲を取り巻く空気感のようなものが好きで、昔から定期的に聴いてしまう。なんというか、無色、みたいな曲だと思う