目薬よくなくす

たまに心臓めっちゃ痛い

今この時が強烈に懐かしい

 

 帰ってきてから、やりたいゲームや見たいアニメたくさんあるのに、椅子に座って電気つけずにスマホ見たり、爪を切りながらどうでもいい動画を見ていた。もうすぐ日付が変わる

 

 地球が回転しているから、いくつかの台風が発生し、過ぎた。外に出ない方がいいと言われたその夜、外に出た。風は強く、雨が降っていたけど心配されていたほどではなかった。いつもそうだ、自分が高校生の時に台風が電車を止めて学校を休みにしてくれたことは無かった。それはいいとして夜も夜、深夜2時ごろに雨の中歩いていくとコンビニが閉まっていた。24時間営業の店舗の明かりの消えたその風景は珍しいと思い、スマホで写真を撮った。無人の餃子販売所は灯っていた。はじめて入った。監視カメラに映る自分を想像しながら餃子を取り、箱に日本銀行券を入れた。

 改行をしたほうがいいだろうか、いや、しなくていい。読む人の知能を馬鹿にしたような改行の多い文章なんて書きたくない。それは言い過ぎだ。そういう自分も長い文章はなかなか読めず、小説もほとんど読まない。本を読むことは珍しいから、読むときは大袈裟に読もうと思ってハードカバーの本を買って読む。

 夏の終わり、台風の話に戻って秋の始まりの風が強い季節に思い出すのは学生の頃の学園祭。大学の学園祭は毎年と言っても言い過ぎでないぐらい台風の影響を受けた。当日も天気は悪かったけど、その前の練習の日々も空は曇り、向かい風に自転車で向かって部室まで行きギターを配線し弾いた。その数年を一気に薄っすら思い出す。明確なある日を思い出す訳ではないが、その時と同じ気候・空気感を感じているような。また台風が来たらこの感覚に襲われるだろう。

 過去を思い出すのとは違ってときどき、今この時が懐かしいと思う。深夜に外に出た時。それは、働きはじめて大きな不安は無く,大きなイベントも無い生活の中で、ふと狭い部屋から炙り出されて深夜に外に出た時。血迷って自転車で海に行くこともあれば、近くの自販機を見回って何も買わずに帰ってくることもある。そういう時にふと、今この時が懐かしい、未来から思い出されているような気分になる。

 同じ意味のことを、記憶のシャッターを切る、という言い方で数年前にライブの後つけ麺を食べながら和輝(いっしょにバンドをしている,ドラム)に説明したことがある。最近(3月。半年前を最近と言わないで) 会ったとき、松原(自分の名前)がそう言っていたことを覚えていると言われた。でも和輝は今この時が大切な思い出だからずっと覚えておきたい、みたいな意味で言っている気がする、まあその時楽しかったから。ははは

 変わるまいと思っても人間もその周りも変わっていくもので、そうだとするなら今という時は未来からすると区切ることのできる一つの時期として思い出されるだろう。今、過去がそう見えるのと同じように。だからといって今を大事に生きるとか、そういう思いは全く無く、或いは後悔するほどに怠惰に過ごしてやろうと今は思っている。ああ、懐かしい

 

以下、他の話題

・貯金というものが存在しないので、クレジットカードを使うことができない。
・(ほぼ)全ての建築物に設計者がいる、設計をせずに建物を建てることは(ほぼ)できない?
・週末に行った祖母の家でもらったみかんが机の上でしぼんでいる。祖母の元からこの部屋まで移動してきたのだ、その際にみかんは手で運ばれた。

 

誰かに話したい。例えば・・・

 

 

[music] MOTTAI / P丸様。

感銘を受けた。今の時代特有なものを固有名詞を使わずに普遍的な言葉で扱う。昔の人にこの歌詞を見せても、別の意味で伝わるだろう。歌ならば、そうでなくては。

昔自分が愛したものを同じように愛した人が大人になって、いいものを作っている。インターネットの文化が辿った先にこの曲があるのなら、この荒れ果てた電子の海も捨てたものじゃないどころではない。