目薬よくなくす

たまに心臓めっちゃ痛い

トンネル

 

友達(やっちゃん)がドライブしたいと言って、拉致していいか聞いてきたので、いいよと言った。となりの県の有名な図書館に向かった。山をくねくね走ったあと平野を走って、90分ぐらいで着いた。

図書館はすごかった。空間の切り取り方がよかった。建物の中にいくつかの狙いを持った小さなエリアがあり、それぞれの区画が役割を果たしていた。入り口で文具や雑貨と共に人の興味を引き、受け入れる場所。吹き抜けの2階はゆるい曲線を描く本棚に学術書が並ぶ。先進的とも言っていい様相を呈してるけど、地元の人でどの席もほぼ満席 それでいて落ち着いた雰囲気だった。図書館それ自体が本を良く見せる額縁みたいで、どんな本も手に取りたくなった

これはどこでもそうだけど、自分が一生かかっても読めない本がそこにあった。知らないことがたくさんあるということに少しの希望をもらって帰ってきた。というのも、ちょうど昨日の夜 ハッキリした理由のない悲しみが押し寄せてきて、この世には何もない どうしたらいい という気持ちから逃げるように眠りについたからかもしれない。(書きながら、ちょうどいい悲しみがあってたまるかと思ったけど、確かに昨日一度この世は終わりました)

Googleの検索ボックスを前にしても知らないことがどれだけ眠っているかが分からない。大量の本を前にしないと、自分の脳はそんなことも想像できない。だから拉致してもらえてよかった

 

[music] Dream Fighter / Perfume

高速を走りながらPerfumeを聴くのはよいこととされています。サビの旋律が小節をまたいでいったり、遅れを取り戻したりの ハズシが本当に心地いい。続いていく感?輝くトンネルをくぐっていく感??見えなくなるほど遠くまで続く道を走っていく感???

 

未舗装路

 

空腹を無視して布に入ってたけど、寝れなかった。いや、寝ようとしてないような というより寝るとか、寝ないとかどっちの意志もない。お腹すいたし、眠いし、暗い 最悪だと思ったけど、自分の嫌いなものが一度にいっぱいあっておもしろいとも思った。

精神科医は人のことを、あなたは鬱じゃありません なんて言うことあるのかな 自分は精神疾患かもしれないと思って病院に行く人は既に病気だと思う。何が言いたいかというと、ほぼ全員 大体の人は精神病で、病院に行ったか行ってないかの違いしかないんじゃないかと思う。〜しかない とか言うな 断言するな すべての可能性を網羅しろ

昼にuri gagarnを聴いたら気持ちが安らいだ。そう、暗い気持ちが治ったとかではなく 安らいだ。それでいいと、思えたような

8月末にSetagaya Genicoのライブを見に行かせてもらった(文字通り、税田に"見に行かせてもらった")。そこでuri gagarnと出会った。大学の知り合いのおかげでライブを見に行けたのであって、今の大学にいるのは高校に行けたからであって、高校に行けたのは突然思い立って塾に行ったからだ。自分が辿ってきた道の上にこんな音楽に遭遇する点があるなら、道がどんなにいびつでもいいんじゃないか / できれば歩きやすいほうがいいけど・・・

一日で全否定と全肯定を簡単に行き来するな 躁鬱っていうんだよ そういうのは

 

[music] Few / uri gagarn

 

2019年8月23日午後6時

 

カップ麺にお湯を注いだら、フタがくるくると曲がっていった。その様子を見て、それをどうやって歌で表現するか少し考えた。その、カップ麺のフタの様子のなんでもなさとか、お湯を注ぐその瞬間は誰にでも訪れるということとか、水蒸気による熱膨張のような物理現象のこととか。それを、どうやって言葉とか音像にして、伝えるのか 伝わらなくても残そうとするのか。あの、一番有名なカップラーメンを今食べ終えたけど、そんなにおいしくなかったな 次食べるのは1年後ぐらいか

隣の部屋のやつが大慌てで部屋から出て行った。もうすぐ6時だし、6時からバイトか。すごいな、大学生なのにバイトして

音楽を聴こうかな。バンアパを流してしまう SnowLady。東北大震災のチャリティーで作られたCDに収録された曲。この前GoogleMapで震災の被害に遭った地域を見たよ。調べなくても海岸沿いをたどるとその場所が分かる。何もなくなってるところがいくつかある

何も歌いたくない。どうにもならないからどうにもならないと言いたい。羅生門は一時的な憎悪で老婆の身ぐるみを剥がす話だけど、そういう歌が歌いたい。これが俺です、あなたです、そこにあるものはそこにあります。一番大切なことはどうでもいいことです。それは正しいです。それは間違っています。

 

Snow Lady / the band apart

 

おでん

 

午前中が終わった。高校生の頃は「午前終わった~あとは午後"だけ"だ~」みたいな気持ちがあった気がする。数年、一日の中に午前というものがない生活をしてたせいで、全ては正午からはじまる感がある・・・午前7時半に間に合うように学校に行ってたのが信じられない。仕事とかも午前乗り切ったら気が楽だったり、生産的なことは午前に終わってしまったりするんかな。働いたことがないから分からない。世の中、ごめん。