物語の日 七夕
今日は七夕だった。
七夕といえば、ハルヒを思い出す。
涼宮ハルヒの憂鬱の話題に持っていくまで2行。なんでも野球で例えるおじさんみたいに、なんでも涼宮ハルヒの憂鬱の話に持っていけるかもしれない
思い出すのは、七夕という日がハルヒの物語で重要な地点になっているから。ハルヒの物語は、誰しもにやってくる「自分は何者でもない」という葛藤が描かれるのが好き。
小学生の時に自分と自分の周りの人間は特別おもしろいと信じていた幻想が砕け散って、いないと分かっていながら特別な人や変な人や不思議な現象を探し狂う。それでもハルヒは結局世界はつまんないという事実にたどり着くし、平凡で取り柄のない同級生の男(主人公のキョン)を好きかもしれない(私は特別なのに!)という疑念に揺れ動く。その一方で友達は宇宙人と未来人と超能力者なのに自分だけが気付かないというのがフィクションとしての面白さで、そんな特別な仲間を引き連れて超平凡なことをする。街をただ散策したり、しょぼい映画を撮ったり。
主軸の物語は最初の6話で最終回を迎えるから気軽に人に勧めたいところだけど、今見るとハルヒの言動が余りにも気狂いすぎて見れない可能性がある。
変な女の子というモチーフは、ずっと心に留まっていて昔作った曲も影響された。
廊下は走らない それがルール
君が破ったあの日から僕は
おかしくなっちゃったんだ(廊下は走らない / アスファルツ)
「世界は私のものだよ」
何を言ってんだ君は
旋律に浮かんでいる意味が 君の喉から(音楽室より愛を込めて / アスファルツ)
物語は人の頭に残り続けて、その人の思考を変えたり変えなかったりする。
「物語は必要か?」
その問いを、自分によく問いかける。そして、必要だと思う
そうじゃない人もいるかもしれないけど、物語が必要なタイプの人間に生まれたなら、張り裂けそうな自意識、恥ずかしい妄想、あり得ない野望なんかを物語から取り入れて、自分はそう簡単に変われないが、ただ胸をいっぱいにしていたい
さて、ゴミを出すついでに星を見てみよう。でもこんな街じゃ星は見えないだろう
[music] 恋色少女 / TaNaBaTa
東方アレンジ。TaNaBaTaだから。中学生の時セツナライトってアルバムをずっと聴いてた。昔の先輩にアスファルツ(昔やってたバンド)はTaNaBaTaに似てるって言われて嬉しかった。今日の日記、ハルヒと東方って懐古厨すぎて終わってるよ。俺は一生ニコニコ動画の話をする。
でもそれでいい。君も君を魅了して突き動かしたものの話をしておくれ
自由が呼び声
もうすぐ新しい生活になって一年が経つ。
一年前、引越しの前夜にキャナルシティにシン・エヴァンゲリヲンを見に行った。卒業式の日程を勘違いしていて、引っ越した後にまた大学に行った。卒業証書授与式の日程も勘違いしていて、出られなかった。後日、卒業証書はレターパックで届いた。勘違いしすぎて自分で書いてても頭がおかしくなりそうだ
新しい生活になると、経済的に自立した。それまでは自立していなかった(お父さん、お母さん、ありがとう)ということだけど、その両親に苦労をかけているという事実はずっと自分の心を蝕んでいた。それから解放された。
それで、自由を感じた。言葉にすると大袈裟だけど、ただ何をしてもいいという状態がそこにあるだけだった。それは嬉しかった。
何をしてもいいという自由を与えられた生活で、俺は何もしないという自由をたびたび選択した。休日に日が落ちるまで布団の上にいた。今日も何もしてやらなかったと言って、喜んだ。
家にいる時、ときどき、その多くは深夜に、どこか行こうかなぁと思う。次の日は仕事だし、今寝た方が絶対に良いと判断できるけど、唐突にどこかに行くという選択肢には惹かれてしまう。なぜなら、それが今持っている最大の自由だから。働いていて、一人で暮らしている。その状態でできる最もおかしな行動がしたい。そして唐突に自転車で埠頭まで行って、雑に海の写真を撮って帰ってくる。ある時は住宅街の中にある神社に行って、少し立ち止まって帰ってくる。次の日は少し後悔したかもしれないが、そういうことを繰り返している
でもこれは自由だからできることではなく、ただの血迷った行動にも見える。無気力な方向に向いた反抗的な行動。自分がなるべくどうしようもなくなるように仕向ける自虐的な行動。無責任な状態を喜んでいる。そういう風に言い換えることもできる気がしている
今はそれでいいと思っている。このまま履き違えた自由を享受していよう
[music] 思慮するゾンビ / FICUSEL(初音ミク)
質感のある楽器の音を使っているのに電子音のような無機質を感じさせるエレクトロニカ。この曲を取り巻く空気感のようなものが好きで、昔から定期的に聴いてしまう。なんというか、無色、みたいな曲だと思う
Celeste : マデリンのために
今日も仕事で現状報告のとき、うわー今日も俺のどもり はすごいな。と思いながらどもりながら話したりしていた。事前に何を言うか考えていても話していると自分が何を言っているか分からなくなる。こんな自分のことも守ってくれるから雇用というものはすごい
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ゲーム『Celeste』をクリアした。女の子マデリンが険しいセレステ山をひたすら登っていくゲーム。立ちはだかるのは厳しい地形だけではなく、精神的な戦いもあって、そういう心の中の苦悩がゲームのステージとして表現されていた。
死にまくるけど少しずつ覚えてできるようになるという成長や、困難に挑戦するというゲームプレイが、マデリンの精神的な成長と直面する物語にシンクロする。
最初は訳も分からず登っていた山を、途中からマデリンのために頂上に立ちたいと思うようになる。途中でとても盛り上がって、最後は派手ではないがそっと肩を叩いてくれるようなラストシーンだった。
例えば、何か理由があって困難を乗り越えながら山を登る映画があったとして、それを見るのは楽しいと思う。でも、Celesteというゲームでは山を登るのは自分で、こんなの無理だよって思うような場所も自分で乗り越えていきながら物語を見る。そういう、体験できる物語として、とてもいい作品だった。
ただゲームをクリアしただけだけど、自分は一度セレステ山の頂上に立ったんだというこの気持ちは、いつか少しだけ自分を支えてくれる気がする
[music] Taliyah, the Stoneweaver / League of Legends
対戦ゲームLoL のタリヤというキャラのテーマ。
使命、みたいな言葉を連想させる曲調。こういう壮大で民族っぽくて女性コーラスが あーあー言ってる曲が好きすぎるからこういう曲だけのプレイリストが欲しい
去年の12月はタリヤを使いこなせるようにすべてをささげた
スターダム
昨日は正しい時間に寝たから、朝に目が覚めた。
2時間ぐらい布団の中でスマホを見たあと、起き上がった。休日の初動としては最悪だ。冷凍肉まんを食べた。天気がいいから外に出るか1時間ぐらい迷ったあと、15分ぐらい散歩した。昼ご飯も冷凍肉まんを食べた。肉まんを今日のこの日記の冬の季語としよう。
精神を一度ぶっ壊したから、日光を浴びることの大事さを知ってる、というか日光に少し執着してる。でも、部屋は昼でもカーテンを閉めてることが多い。開けていると外の世界と繋がっている感じがして、何かをしないといけない気がしてくる。閉めていると何もしなくていいと感じて、それが嬉しい
住んでいる建物には、エレベーターが無い。エントランスと呼べる空間は無く、玄関と隣の部屋の玄関との間隔がとてつもなく近い。洗面所はないからキッチンのシンクで顔を洗う。風呂に座るスペースは無くて、洗濯機はベランダに置く。こんな風に書いたけど、この部屋を気に入ってる。一度住んでみたかった、狭い部屋に。部屋に机と布団しか要らないから、机と布団しかない。階段を降りて自動販売機に飲み物を買いに行ったときは、外から自分の住んでいる建物を見る。隣のマンションはとても大きいのに、自分のマンションはアパートと呼んでいいぐらい小さくて、古い。それを見て、嬉しくなる。そこでの暮らしが物語のように思う気持ちと、どこでだって暮らしていけるという気持ちが含まれているのかもしれない
今日も何もせず、曖昧な時間に寝るのだろう
[music] The Feels / TWICE
シリアスもポップも混合した歌に、前年代を感じさせるベースとビートが鳴るリバイバルな曲。最初は元気な曲が多かったが、"FANCY"や"Feel Special"の辺りからシリアスに移行したらしい。ダヒョンはおもしろ担当、ジョンヨンはボーイッシュ担当、のような最初の頃に見られたキャラ付けはもう見る影無く、今はただ複雑な一人の人間が9人集まっているグループとして表舞台にいるように感じるところが好き。
目を惹くのはそのダンスやフォーメーションの複雑さで、恐ろしくストイックな裏側があることは想像できる。時々、アイドルというよりアスリートのようだなと思う。
アルバムやPVの新作のペースは早く、練習動画や企画番組、日常のクリップなど大量のコンテンツが公式から発信される。その常軌を逸したスケジュールや注目のされ方は当人たちに多大な負担を強いる。K-POPにおいて心身に支障をきたして活動休止する例は枚挙にいとまがなく、自殺までニュースになった。
リンクを貼ったこの動画でもジョンヨンは不安障害で休養中だったため、9人から1人欠けた状態で踊っている。以前にもミナが欠けてワールドツアーを周るなど多くの困難を乗り越えてきたプロとして前に進むTWICEを見ていると、可愛さ、よりも個々の強さのようなものが押し寄せてくる。
オーディション番組の影で、志したがステージに登れなかった人も大量にいるはず。そんな業界全体での大きな犠牲と、本人たち自身の心身の消耗の果てに成り立っていることを思うと、この人たちはよりいっそう輝いてみえる。