目薬よくなくす

たまに心臓めっちゃ痛い

そうでもなさを知っている

 

 

あけおめーー

 

昨日から今日になる瞬間、去年から今年になる瞬間は、太宰府天満宮に向かう暗い住宅街の中にいた。
電車でも車でもなく徒歩で天満宮に行く、地元民だけが知っている道。
着いたら1時間半ぐらい並んで本殿に行き、銭を投げ、祀られている菅原道真に自分の名を名乗った。

 

帰ってきてから夕方まで寝てた。日光に執着しているので、冬季うつ防止のため陽の光を浴びたかったけど、もう沈んでいた。

 

今年も目薬よくなくすをよろしく。新しい音楽も作ったら、聴いてほしいです。

 

 

[music] Good Night - 宇多田ヒカル

2018年『初恋』収録。2018年に上映された映画ペンギンハイウェイのエンディングで、宇多田ヒカルを知った。映画館でこの曲を聴けてよかった。昔の曲も聴いてみたら、travelingという隠れた名曲を見つけた。他にもきっといい曲があるんだろう

今まで(宇多田ヒカルのことは知らなかったが)音楽をたくさん聴いたり、バンドをして自分で音楽を作ったりして音楽に浸かってきた。
すると、音楽の素晴らしさ・凄さ・尊さを知ることになるが、同時に音楽のそうでもなさも知ることになる。
音楽は、さりげなく、浅く、自由で、どうでもよく、簡単に作れて、誰でも出来て、何も意味していない。そんな性質も持っている。文章でも映像でもそれぞれの世界の人は、その分野のそうでもなさを知っているだろう
だから音楽に感動するときは、おお!!でも、うわあ!!でもなく、「あれ?」なのだ。
体中の液体が弱い電荷を帯びて磁石に引っ張られるような、自分でも認識できない反応。

電撃が走ることはあまりないけど、それでもまだ音楽が呼ぶ方へ

 

 

夢の生活

 

 

ニット帽を失くした。そういう訳で耳が寒くて痛みを感じながら自転車に乗った。だけど代わりの防寒具を買うのはそこそこ後になる気がする。

4月に部屋の蛍光灯が付かなくなったとき、それを7月まで放置した。陽が登っている時以外はずっと部屋が暗かった。それは10分で解決できた。蛍光灯のカバーを外し、型番を確認し、Amazonで同じものを買うだけで解決できたけど、3ヶ月それをやらなかった。

前の家を引っ越すときに、キッチンの下の棚を片付けた。住んでいるときに片付けていれば、もっと色んなものをキッチンの下の棚に入れられて便利だっただろうけど、数年間それをやらなかった。

今も、使っている椅子や掛け布団のことを毎日少し不満に思っているが、面倒だから放置している。

QoL、生活の質とかいう定規で自分の生活を測ったとしたら、すごく低い数値が出るに違いない。それでも大きな不安の無い今の生活は、自分にとっては夢の生活だと思う。

最新のスマホは羨ましいけど6年前のスマホを今も使っていたり、欲しいPCは買えなかったりする。毎日がんばって働いているのに、そんな自分は可哀想だと思う。けど、もしスマホもPCも持っていなければ、最新のものじゃなくても持っているだけで嬉しいはず。などと、すでに持っているものを欲しがることで喜んでいる。やっぱり夢の生活です

物欲に際限はないと思うから、それらは半分本気です

 

◇◇◇

 

今日の日記は、冗長で、俗で、好きじゃない。自分の文章を好きでいてくれた人が、そうでなくなる不安に苛まれる。

自己否定、弱者アピール、苦笑いを呼ぶユーモア。

本当どんよりする。窓の外からは飲み会帰りの人々が笑う声がする

 

 

[music] 玻璃 / COWPERS

青ざめた玻璃のような
心臓朽ち
同じ場所で
泣き暮らす


たすけてカウパーズ!

 

 

今この時が強烈に懐かしい

 

 帰ってきてから、やりたいゲームや見たいアニメたくさんあるのに、椅子に座って電気つけずにスマホ見たり、爪を切りながらどうでもいい動画を見ていた。もうすぐ日付が変わる

 

 地球が回転しているから、いくつかの台風が発生し、過ぎた。外に出ない方がいいと言われたその夜、外に出た。風は強く、雨が降っていたけど心配されていたほどではなかった。いつもそうだ、自分が高校生の時に台風が電車を止めて学校を休みにしてくれたことは無かった。それはいいとして夜も夜、深夜2時ごろに雨の中歩いていくとコンビニが閉まっていた。24時間営業の店舗の明かりの消えたその風景は珍しいと思い、スマホで写真を撮った。無人の餃子販売所は灯っていた。はじめて入った。監視カメラに映る自分を想像しながら餃子を取り、箱に日本銀行券を入れた。

 改行をしたほうがいいだろうか、いや、しなくていい。読む人の知能を馬鹿にしたような改行の多い文章なんて書きたくない。それは言い過ぎだ。そういう自分も長い文章はなかなか読めず、小説もほとんど読まない。本を読むことは珍しいから、読むときは大袈裟に読もうと思ってハードカバーの本を買って読む。

 夏の終わり、台風の話に戻って秋の始まりの風が強い季節に思い出すのは学生の頃の学園祭。大学の学園祭は毎年と言っても言い過ぎでないぐらい台風の影響を受けた。当日も天気は悪かったけど、その前の練習の日々も空は曇り、向かい風に自転車で向かって部室まで行きギターを配線し弾いた。その数年を一気に薄っすら思い出す。明確なある日を思い出す訳ではないが、その時と同じ気候・空気感を感じているような。また台風が来たらこの感覚に襲われるだろう。

 過去を思い出すのとは違ってときどき、今この時が懐かしいと思う。深夜に外に出た時。それは、働きはじめて大きな不安は無く,大きなイベントも無い生活の中で、ふと狭い部屋から炙り出されて深夜に外に出た時。血迷って自転車で海に行くこともあれば、近くの自販機を見回って何も買わずに帰ってくることもある。そういう時にふと、今この時が懐かしい、未来から思い出されているような気分になる。

 同じ意味のことを、記憶のシャッターを切る、という言い方で数年前にライブの後つけ麺を食べながら和輝(いっしょにバンドをしている,ドラム)に説明したことがある。最近(3月。半年前を最近と言わないで) 会ったとき、松原(自分の名前)がそう言っていたことを覚えていると言われた。でも和輝は今この時が大切な思い出だからずっと覚えておきたい、みたいな意味で言っている気がする、まあその時楽しかったから。ははは

 変わるまいと思っても人間もその周りも変わっていくもので、そうだとするなら今という時は未来からすると区切ることのできる一つの時期として思い出されるだろう。今、過去がそう見えるのと同じように。だからといって今を大事に生きるとか、そういう思いは全く無く、或いは後悔するほどに怠惰に過ごしてやろうと今は思っている。ああ、懐かしい

 

以下、他の話題

・貯金というものが存在しないので、クレジットカードを使うことができない。
・(ほぼ)全ての建築物に設計者がいる、設計をせずに建物を建てることは(ほぼ)できない?
・週末に行った祖母の家でもらったみかんが机の上でしぼんでいる。祖母の元からこの部屋まで移動してきたのだ、その際にみかんは手で運ばれた。

 

誰かに話したい。例えば・・・

 

 

[music] MOTTAI / P丸様。

感銘を受けた。今の時代特有なものを固有名詞を使わずに普遍的な言葉で扱う。昔の人にこの歌詞を見せても、別の意味で伝わるだろう。歌ならば、そうでなくては。

昔自分が愛したものを同じように愛した人が大人になって、いいものを作っている。インターネットの文化が辿った先にこの曲があるのなら、この荒れ果てた電子の海も捨てたものじゃないどころではない。

 

 

脳は広い

 

今日は会社で仕事をした。家で仕事をする日と会社で仕事をする日があるけど、断然家がいい。こんな家で仕事ができる時代以外で社会に放り出されていたら、生きていけなかったと思う。

江戸時代にも、「ぶらぶら病」と呼ばれた社会に馴染めない人々がいたらしい。きっとその人たちの内誰かの血が自分にも流れているんだろう

昔はより人間は仕事をして当たり前みたいな価値観が強かっただろうから、仕事をせずにふらふらしている人は目立っただろうな。でもそういう人がいたっていうのはなんか良い。その人も今の時代に生まれていたらもっと好きなことができたかもしれないし、もっと不幸になったかもしれない。

 

◇ ◇ ◇

 

日記は今日のことだけを書けばいい。

今日以前に色々あったり色んな気持ちになったとしても、日記という体で文章を書けば今日のことだけを書けばいいから良い。でも日常は繰り返しだから同じことを書くことになったりもする。

自分が会社に行くときは自転車で、変な交差点、病院、大きな橋、昼は静かな飲み屋通り、線路の高架下のトンネルを通る。代わる代わるの景色は物語のようだなと思う。音楽を聴きながら電車に乗っているときみたいな、自分が物語の中にいるような感覚は嬉しい

そして日記に同じことを書くのを嫌うなら回想すればいいし、行動は繰り返しでも思ったことは些細に毎日違う。日常で動ける範囲は狭いけど、脳の中は広い。広いということは、未知の部分や不確定な箇所があったり冒険ができるという意味で、希望だ

 

希望とか、良いとか、嬉しいとか、ポジティブ思考みたい。きも (でも本当に脳が広いことは希望だと思っているよ)

 

 

[music] 禁断の宮殿 / the band apart

悲しいから やめてくれ
信じるとか 裏切るとか
絆と言わないでくれ 耳が腐る

わはは